森の中にあるガラス貼りの部屋で毎晩“何か”に監視され続けるという奇妙なあらすじがなんとも興味をそそる『ザ・ウォッチャーズ』がいよいよ公開だ。本作では『シックス・センス』『オールド』のM・ナイト・シャマランが製作を務め、彼の元で経験を積んだ娘のイシャナ・ナイト・シャマランが監督・脚本を手掛け、長編監督デビューを飾る。
生かさず殺さず、ただ一方的に見られ続けるという気味の悪い状況に置かれた人たちを描くこの物語は、殺人鬼や霊や悪魔といった脅威が迫りくるホラー映画とはまた違った恐怖を味わわせてくれる。そして、“一方的に見られている”という状況は現実にもある身近なものだという事実が、なんとも奇妙な余韻をもたらす。
大きなネタバレ要素のある作品であり(観た人は絶対ヒミツに!)、予備知識は不要なため、興味がわいているならそのまま劇場に駆け込んで本作のスリルとドラマを堪能していただけたら幸いだ。まだ迷っている方のために、もう少し作品についてご紹介させていただこう。
次々起こる怪現象、人工的な部屋、監視する“何か”――謎だらけの森
ダコタ・ファニングがアンニュイなムードで演じる主人公のミナは、何か訳アリの様子の人物。あらすじではわざわざ“孤独な”アーティストと前置きされている。彼女は、ニョオウインコという珍しい鳥を届けるお使いの道中で地図にない森に迷い込む。
奇妙な現象が次々と起こるこの森は、木々に囲まれた監獄のような、もう二度と出ることは出来ないと思わせる恐ろしい場所だ。夜になると不気味な気配が迫りくるこの場所で、不自然に存在する人工的な“部屋”だけが安全な避難場所だが、そこでは“何か”に監視されることになるのである。誰が、一体なんのために監視するのだろうか?
すでに部屋にいた3人の男女は、ここで生き残るための3つのルールをミナに教える。しかしそれは決して“生きて帰る”という理想の結果をもたらすためのものではなく、現状をなんとか維持するだけのものだ。たとえ殺されないとしても、果たしてこんなところでずっと生きていたいだろうか。多くの観客が思うであろう疑問を背負い、事態を動かすのがミナである。
事態を動かすのは“孤独”な主人公
ミナは3人が決して破ろうとしなかったルールを大胆にも破ってしまう。人と足並みを揃えない人間は往々にして集団の中で浮きがちだ。だから彼女は“孤独”だったのかもしれない。3人とは違う行動を起こすいわば異物である彼女だが、次第に彼女の過去とパーソナリティが明らかになり、彼女こそが、現状を打破する鍵だと分かるのだ。
ネタバレ厳禁のゾクゾクするような“真実”も大きな見どころだが、それを知って終わりではなく、心にひび割れを持つ人間の戦いと成長のドラマが沁みる一作でもある。そうした点は、父であるM.ナイト・シャマランの作品と共通する部分かもしれない。
さらに付け加えると、物語に散りばめられた様々なモチーフや題材の反復によって、この映画のなかで起こっていることが現実にも起こり得ることのように思えてくるのも面白いポイントだ。監視者と呼ばれる“何か”が、長方形の大きなガラス窓からミナたちを覗くさまは、映画館の長方形のスクリーンでこの物語を見つめている私たちの姿になんだか似ている。
幼い頃からホラーに目覚めたイシャナ・ナイト・シャマラン監督
このデビュー作で早くもファンを獲得しそうなイシャナ・ナイト・シャマラン監督は、三姉妹の真ん中っ子。幼い頃からホラーを含めた映画を家族で観ており、自然と映画監督を志すようになった。特に『ポルターガイスト』は何度も繰り返し観たお気に入りだという。
父の監督作品『オールド』『ノック 終末の訪問者』でセカンドユニットディレクターを務め、そしてTVシリーズ「サーヴァント ターナー家の子守」の一部エピソードの監督・脚本を手掛け、ついに本作で長編監督デビューしたイシャナ。A.M.シャインによる原作小説を読み、ホラー映画として映像化することに決めた。本作では、自身も感じる“見られていること”に対する恐怖をサブリミナル的に入れ込んだといい、肌が粟立つような不気味な感覚を巧みに表現している。
父M.ナイト・シャマランは自身の作品を“ホラー”とは表現しないタイプだが、イシャナは屈託なく「ホラーを撮るのは本当に楽しい」と語ってくれており、ホラー映画ファンとしてはちょっと嬉しいところ。彼女がこのジャンルでたくさんのユニークな作品を生み出してくれることを期待したい。まずは本作で、その手腕をご堪能あれ!
『ザ・ウォッチャーズ』
6月21日(金)全国ロードショー