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“犯罪者のファン”の心理を覗くスリラー『レッドルームズ』監督インタビュー 「この映画には100通りの解釈がある」

2025.10.01 by

『RED ROOMS レッドルームズ』パスカル・プラント監督インタビュー

「この映画には100通りの解釈があり、それがこの映画を100倍豊かにしているのです」

連続殺人犯に魅了された女性を描く、ダークな社会派スリラー『RED ROOMS レッドルームズ』が現在公開中だ。

主人公のケリー=アンヌは、華やかなファッションモデルの仕事の傍ら、とある裁判の傍聴に足繁く通っている。彼女がのめり込んでいるのは、少女たちを誘拐し、拷問・殺害する様子をディープウェブ上で配信していたという事件の容疑者ルドヴィク・シュヴァリエだ。ケリー=アンヌは傍聴を続けるうちに、彼女と同じく“常連”で、シュヴァリエの無実を信じているクレマンティーヌという少女と距離を縮めていく。

ケリー=アンヌは多くを語らないが、同じ対象に執着する二人が描かれるなかで、次第にその違いが明らかになり、彼女に宿る闇が浮かび上がっていく。おぞましい事件そのものではなく、ケリー=アンヌの存在自体がいつまでも脳裏に焼き付くような、ショッキングな作品に仕上がっている。そんな本作を手掛けたパスカル・プラント監督にメールインタビューを行った。監督の制作意図や、ケリー=アンヌという“謎”を咀嚼するための様々なキーワードについて伺っている。

<ネタバレ前に注意書きあり>

――“犯罪者のファン”という題材のどういった点があなたの創造性を掻き立てたのでしょうか。リサーチをしていく上で興味深い発見はありましたか?

パスカル・プラント監督:コロナ禍に実録系犯罪ドキュメンタリー番組を見ていたのですが、裁判所や法廷に潜り込んでいる犯罪者のファンが登場するカットを見るたび、連続殺人犯の物語よりも彼女たちのストーリーの方がずっと面白いだろうと思っていました。そのうち、本当に犯罪者グルーピーを理解したいと思うようになったんです。いったい何が彼女たちを駆り立てているのでしょうか? 

リサーチをするなかで、この現象がとても広範囲に及んでいることを知り、私たちの社会の縮図だと思うに至りました。だから、彼女たちを批判的に描かないようにしたかったのです。私は犯罪者グルーピーたちの様々な動機を知りましたが、それらすべてを一人のキャラクターにまとめることはできませんでした。 だから本作には、ケリー=アンヌとは正反対のクレマンティーヌというキャラクターが登場するのです。リサーチを通して、現実の犯罪者グルーピーのほとんどが裕福な家庭出身で高学歴であることを知ったのは驚きでしたね。

――ケリー=アンヌの“つかみどころのなさ”が印象的です。モデルの仕事とオンラインポーカーで生計を立て、ガラス張りの高層マンションで暮らすというライフスタイルもあまり一般的ではありません。この不思議なキャラクター像はどのように作られていったのでしょうか。

プラント監督:主人公のキャラクターを作り上げていく中で、私はだんだんとそれまでに行ったリサーチを手放していくようになりました。彼女を精神分析したり、過去のトラウマなどで説明したりすることで、“なぜ彼女がそのような行動をとるのか”という単純な答えを示したくなかったのです。往々にして映画というものはすべてを過剰に説明しようとする傾向があり、私はそれに抵抗しています。代わりに、ただ謎を作り上げることを楽しんでいたいのです。

私はケリー=アンヌをこの世のものとは思えない、幽霊のようなキャラクターにしたかった。なぜなら、どんなに社会的に妥当なことを描こうとしても、映画は現実ではないから。ある時点では想像力を自由に解き放つ方が健全なのです。そして、撮影が近づくにつれて、彼女はどんどん奇妙な人格に育っていきました。彼女は善人でもなければ、完全に悪人でもありません。そんな単純に描いてしまっては、彼女の存在が映画を観た観客の心に残ることはないでしょう。

――シュヴァリエは裁判で、被害者は配信映像で、そしてケリー=アンヌはモデルの仕事において、いずれも一方的に“見られる”立場にある点が共通しています。そこには何か意味が込められているのでしょうか。

プラント監督:いい指摘です! 最近ではほとんどのものが“見られる”世の中になっています。例えばYouTuberたちもそうですよね。そしてお分かりのように、私は“ガラスの檻”が大好きです。シュヴァリエはガラスの檻の中にいて、ケリー=アンヌはガラスの檻の中で暮らし……そして、ガラスの檻の中でスポーツもする。私は反射や鏡が大好きなのです。それが、私がこの映画で伝えたかった幽霊のような主人公独特の雰囲気を醸し出しています。また、コンピューター画面もある意味では最も強力なガラスの檻と言えるでしょう。より魔法的な……。

――クレマンティーヌ役とシュヴァリエ役は似た“目”を持っているキャストを選んだそうですね。それはなぜだったのでしょうか。

プラント監督:これはクレマンティーヌを理解するのに役立ちます。彼女は「彼の目は私に似ているし、私はそんなことはしない。だから彼は無実だ」と信じています。綺麗事ですが、多くのグルーピーたちがそう考えます。彼女らは認知的不協和と感情的な偏りを持っているのです。

クレマンティーヌはケリー=アンヌと比べると、少々野暮ったく、あまり賢くないように見えるでしょう。しかし、少なくとも彼女はもっと人間的です。彼女には温かさがあります。私たちはケリー=アンヌとクレマンティーヌのどちらになりたいでしょうか? この映画で私が気に入っているシーンは、彼女たちが陰惨なスナッフ・ビデオを見ているシーンです。ケリー=アンヌはわずかに冷たい笑みを浮かべており、クレマンティーヌは涙目で恐怖に怯えています。この場面では、私はクレマンティーヌに共感します。そして、彼女を抱きしめたいと思うのです。

――本作に登場する法廷は、無機質な白い部屋で、被告は水槽の魚のようにガラスに囲まれています。こんな法廷を他の作品では見たことがないのですが、この作品のためにデザインされたものなのでしょうか。

プラント監督:モントリオール裁判所は、まさに角張ったブルータリズムの建築です。法廷ドラマで見慣れている木彫りの豪華な舞台とはかけ離れていますよね。私たちの法廷のセットは映画的にしてあります。無菌性を現実よりさらに高めているのです。夜に明るすぎるレストランのように、落ち着かない雰囲気で、居心地を悪くしたかった。さらに、私たちはこの場所で約40分間のスクリーンタイムを過ごすので、ミザンセーヌ(カメラに映るもの)を可能な限りコントロールできるようにしたいと思いました。その中で美的に進化させ、映画全体を通して興味を惹くセットを目指しています。

――ケリー=アンヌがパソコンの壁紙にしている絵画(The Lady of Shalott/シャロットの貴婦人)のタイトルが、彼女のウェブ上のアカウント名と同じであることに気付きました。この絵画は本作の何かのインスピレーションになっているのでしょうか。

プラント監督:これは脚本の段階では存在していない要素でした。出典によって異なりますが、塔に隠遁するシャロットの貴婦人は、窓を通して――あるいは私が好きな魔法の鏡(ガラス)を通して外の世界を眺めています。現代の魔法の鏡はコンピューターの画面のことでしょうか。そして物語の中で、彼女は騎士ランスロットに恋をします。フランス語で“騎士”は“シュヴァリエ”と訳されます。ランスロットは彼女が自分に恋していることを全く知りません。シャロットの貴婦人は愛する人を探すために塔を去りますが、途中で悲劇的に亡くなります(この物語/詩のほとんどの描写では、貴婦人は死んでいるか、瀕死の状態にあり、船に乗っています)。これは明らかにケリー=アンヌの考えを反映していますね。しかしこれは深読みし過ぎの考察、ただ単純に面白いだけの、いわばオタク的なオマケです! 登場人物について自分の意見を形成するために、これらのことを深読みする必要はまったくありませんよ。

<注意>以降、展開のネタバレを含むため、作品の鑑賞後にお読みください。

――シュヴァリエに惹かれる理由や、ラストの行動を含め、ケリー=アンヌの心理は常に謎に包まれています。劇中で見せる・見せないに関わらず、彼女の行動原理や動機についてはイメージを固めていたのでしょうか。

プラント監督:これはネタバレ注意ですが……彼女が被害者の母親に“正義”を与えるという結末だけでは満足できないでしょう。直前に、彼女が殺された少女の寝室で自撮りをするシーンが必要でした。彼女が自分自身のために行う、とてもダークな行動です。これがケリー=アンヌの謎を活き活きとさせています。私の頭の中には、彼女の心理的な進化と動機について非常に明確なイメージを持っています。しかし、それを共有するのはとても退屈なことでしょう。この映画には100通りの解釈があり、それが単純な回答よりも作品を100倍豊かにしているのです。私は鑑賞後に議論を生み出す映画が大好きです。(そう、私はミヒャエル・ハネケの大ファンです!)

――私がもっともショッキングに感じたのは、アニメや映画のコスプレをするファンのように、ケリー=アンヌが被害者の格好をして裁判の傍聴をしようとするシーンです。このシーンのアイデアはどのように生まれたのでしょうか。モデルという彼女の社会的なアイデンティティが失われたとき、彼女はそれ以外の反社会的な世界に没入するしかなくなったのでしょうか。

プラント監督:考えてみると、モデルの仕事自体がコスプレのようなものですね。撮影中、ケリー=アンヌは様々な役を演じ、着るものによってアイデンティティを変えます。ですから、彼女のコスプレ体質は、生計を立てるために行っている仕事によってすでに確立されていたと言えます。しかし、ケリー=アンヌはアドレナリン・ジャンキーでもあります――ギャンブル、違法ビデオ、住居侵入など。ですから、映画のクライマックスは、彼女にとって当然の形だったと言えるでしょう。しかし、彼女の行動原理が曖昧であるがゆえに人々の心に残るのだと考えます。彼女は殺人犯に抵抗しているのか、それとも彼に近づこうとしているのか? 彼女は被害者から送り込まれたゴーストのような復讐者なのか、それともよりダークな側面を持ち、殺人犯と絆を結ぼうとしているのか? 私にはこれについて私なりの答えがあり、あなたにはあなたの答えがある。そうでしょう?(笑)

『RED ROOMS レッドルームズ』公開中

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