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【対談】黒沢清監督×『遺愛』酒井善三監督(3) 二人が語る映画監督の作家性と『黒牢城』

2026.07.06 by

認知症の母の介護をひとりで背負った娘。そんな母娘を取り巻く“呪い”を描いた『遺愛』が公開中の酒井善三監督と、自身初の時代劇『黒牢城』が公開中の黒沢清監督が対談。日本のホラー映画を牽引し、国内外の映画製作者に影響を与え続けてきた黒沢監督と、これからのホラー映画を担う酒井監督が、映画監督の作家性について語る。(第3回/全3回)

前回の記事:【対談】黒沢清監督×『遺愛』酒井善三監督(2) 観客にまで押し寄せてくる狂気を描く

「自分の個性みたいなものを見つけたら、そこで終わっちゃうんじゃないかって感じていて」

黒沢:本当分からないですね。映画は作ってみないと。どう考えても必要だとは思うのですが、無くしても誰一人疑問に思わない。思わないことが疑問になって、何かに思われたりするんですけどね。いやあ難しい。そういう意味で、基本的には映画自体がもう現実と妄想が入り混じった表現なんでしょうね。

さっき『テナント/恐怖を借りた男』の話が出ましたが、ロマン・ポランスキーを連想させるなとつい思ってしまいました。特に『反撥』とか。その若さでポランスキーの境地に達するっていうのはなかなか尋常なことではないと思うんですけれど。そういう狂気と現実と、それでも何か具体的に起こる怪異みたいなものが入り混じった作品を作っていこうという、その酒井監督の作家性みたいなものがどうやって生まれて今後どうなっていく、どうしたいというような欲望ってあるんですか?

酒井:結構「側」の方から出来ているというか。『カウンセラー』に関しても、本当は当初群像劇を撮りたかったんです。僕は自主映画をやってきて当時は商業の予算感もわかっていないので、「これぐらいならできるだろう」と書いたシナリオをプロデューサーに持っていくと「こんなの1億円ないとできないよ」「そんなの今の日本では通らないよ」と言われてしまうので、「あ、じゃあ自主でできるものを撮ろう」と思い撮ったのが『カウンセラー』だったり、それ以降の作品なんですよね。そうなると、もう人物と場所を減らすことをまず第一に考える。コスパみたいなものを考えてシナリオを書いていった時にサスペンスを産もうとしたら、ポランスキーってやっぱりそういう才覚がすごいんだろうなと思います。全く同じように、昔からあの感じをやっていて、とにかく場所と人間を減らしてるんだと思うんですよね。『ローズマリーの赤ちゃん』とかもまさにそういう雰囲気もあるし。どこから客観かどこから主観か分からなくさせることで、とにかく引っ張っていく。

今は「予算がない」ということで逆に「これでいいよね」っていう、ある種言い訳みたいなものを自分に設けて「個性」みたいになっているのかもしれないんですけど、もし撮り続けていけるんだったら別のことをやりたいし、やらなきゃいけないって思っています。あまり自分の個性みたいなものを見つけたら、そこで終わっちゃうんじゃないかって感じていて、とにかくそうじゃないことをやりたいな、と思ってます。

特に僕はワンカットで決定的な何かをするっていうことはできない、「カットを割ること」でどうにか展開させようっていう方向で今やってるので、そういうこともやってみたいです。ワンカットで何が起きるか、とかもやってみたいとは思ってるんですけど。今後はむしろ作家性みたいなものは持たない、意識しないっていうことが一番自分にとってはいいのかな、とか思っています。

「無意識に出ていってしまうものが作家性と呼ばれるんでしょう」

黒沢:職人を目指されるんですか?

酒井:そうありたいなとは思うんですけど、ただ実際、職人ってかつてみたいにものすごく映画が量産されているわけではない時代で、それもそれでやっぱり自分の中では格好つけみたいになっちゃうような気もしています。なので、あまり深く考えずに趣味の延長で時折こう映画が作れたら嬉しいな、っていうぐらいの気持ちではいます。

黒沢:職人か作家か誰にもよく分からないし、世間もはっきり区別していませんもんね。映画の場合は特に。

酒井:ただ僕が作ると必ず「黒沢さん的だ」とか、そういう言われ方をしたりするんです。

黒沢:光栄です。

酒井:僕は黒沢さんの大ファンで昔から見てるってこともあるので、その影響は間違いなくあるんですけど、じゃあ「黒沢さん的」って言われるのが一体なんなのかっていうのは全然分かってなくて。黒沢さんはご自身の作家性みたいなことを考えたりすることってあるんですか?

黒沢:作家性というのは一切考えないですね。自分の中から映画ができているとは思わない。多分酒井監督もなんとなく自覚してると思いますけど、作家性なんて全く出すつもりもないですし、外側に映画を作っているつもりなんですけど、何本か撮っていったり、批評家の方に言われたりして「またこれやってますね」っていう(笑)。つまり、無意識に出ていってしまうものが作家性と呼ばれるんでしょう。

「また同じことやっています、ドキッ」っていうね。こっちは外側で作っているつもりが、なんか内側からつい出てしまうもの……映画って表現しちゃっているんですよね。怖いです。

「今までの作品と全く違うものであるはずなのに、“あ、やっぱり黒沢映画だ!”って思うんですよね」

酒井:まさに『黒牢城』も見させていただいたんですけれども、黒沢さんとしては時代劇で、今までの作品を考えると全く違うものであるはずなのに、「あ、やっぱり黒沢映画だ!」って思うんですよね。その辺がどこから来ているのかなというのもやっぱり気になります。

黒沢:いきなりそんな(笑)。何十本も撮ってきましたけれども分かりませんし、そういう意味でやはり「職人」という言葉も怪しい言葉なので…。やっぱり映画は一人で作るものじゃないのでね。自分とは関係ないところで、外側に映画を作っていく、っていうことで僕はいいと思います。でもきっと出ますよ、作家性は。覚悟しておいてください。この監督、こういう映画を見てきたなとかいうのがボロボロ出ますからね(笑)

酒井:指摘されたらちょっと嫌ですよね。(笑)

黒沢:さらっと聞き流すしかないですけどね。戦いながら続けていくしかないと思いますが。日本にいよいよロマン・ポランスキーが誕生するのかな?
もう言っちゃったから縛られると思います(笑)。ものすごく期待しております。

酒井:ありがとうございます。


『黒牢城』/公開中

――酒井監督から観て『黒牢城』はいかがでしたか?

酒井:黒沢さんの作品って、すごく特殊な表現が記憶に残りやすいイメージではあったんですが、今回見終えた時、クリント・イーストウッド作品とか最近だと『フォードvsフェラーリ』とか、ああいう「終わった後に情緒を感じる」というか。悲哀があり、同時に爽やかな終わり方の余韻を感じました。

いわゆる「黒沢ファン」という人たちも沢山いると思うんですが、そうじゃない。これは黒沢清監督作品だって言わなくても面白いって思うような、アメリカ映画の情緒みたいな感じを受けました。それはあのラストに感じたんですよね。原作がエピソード集というか、ゲーム的な感じで、1面クリアして2,3,4,面とクリアしてエピローグがある、という構成。全くそれをほぼ変えない流れにも関わらず、村重という男がちっぽけで孤独で、でもそれが解放されて、分かち合えなかった人たちと一瞬分かち合えたような感じになって、それぞれ別の道を進んでいく。村重という人間のドラマとしての統一性が高まっているように思いました。なんかそれが、しみじみいいなと思いました。いい映画を見たっていう感じがすごくしたんです。

例えば土牢自体が違う空間になっているなどの細部の変更はありますが、これまでの作品『リアル』とか『クリーピー 偽りの隣人』みたいに話を大きく変えてるわけではなく、原作にあるものをよりドラマチックにするために脚色されたのかなと思ったんですよね。それはある種、作家性から「離れてる」と感じた理由の一つかもしれません。先日、西川亮(ライター)さんと話した際に「日本映画黄金期の大作映画とかアメリカ映画みたいな、監督印みたいなものではない作品になっていてすごいよね」って話になったんです。そういう印象でした。

黒沢:じゃあ僕もやっと自分じゃない外側に映画を構築することができたんですかね。原作の力がもちろんあったんですけど、荒木村重という実在した人を扱っている、というのがより僕自身と切り離して、キャラクターを作ったりすることができたのだろうと思います。自分ではまあよく分かりません、何を作ったのか(笑)。でもそう言っていただけるのであるならば、やっと真っ当なエンターテインメント、娯楽映画が僕は作れたのかもしれないですね。

酒井:土牢のあの柵の中に入るかどうか、って結構大きな問題だったと思うんですよね。そこのアレンジは大きなところだったと思うんですけど、あれはどこでああしようと思ったんですか?

黒沢:そんなに深く考えたわけではなくて、原作を読んだ時から映画にするならその牢のシーンはものすごく重要で、『羊たちの沈黙』のレクター博士のイメージでした。檻の向こうとこっちにいる人の関係が非常に重要であるならば、檻の向こうとこっちだけでは多分成立しないだろう、っていうのは最初から思っていました。牢の中に入って、かつ最初はあまり動けないですけど途中からどんどん動けるようになって代わっていく、という風にしました。

酒井:後半あたりから、不思議とあの空間の照明が明るくなっているようなイメージもあったんですが、その辺は実際そういう打ち合わせとかもされたんですか?

黒沢:明るい、ということを狙ったわけではないんですけれども、外光が入っているという設定もあって。ここは悩ましいところだったのですが、日本の建造物を建造物として撮りたいな、という思いがあったんです。それこそが時代劇の魅力のひとつでもあるので。手前の俳優は映ってるけど、奥が真っ暗で何も分からないっていう表現もあると思うのですが、せっかくこんな立派な建造物があるので、しっかり見せたいとは思っていました。現代劇で撮ったらとにかく全部真っ暗にしようと思ってしまうのですが、そこにすごいものがあるわけです。実際、国宝級の京都のお寺とかお城とか様々なところで撮影させてもらったので、これ見せない手はないな、っていう感じで、自然といつもよりは背景がしっかり見えるようにしたかもしれません。

酒井:なるほど。とっても野暮な質問になっちゃうかもしれないんですけど、あの「回し飲み」……水の回し飲みは何かイメージあったんですか?

黒沢:参考となる何かがあったわけではないです。深い考えもないです。ただ分かりやすく、最後に残った人たちでみんな身分が全然違うわけですが、同じものを共有して一瞬心が通い合ったのか…みたいな瞬間を作ろうという、それだけの発想です。


『遺愛』上映中
配給:ライツキューブ


『黒牢城』上映中
配給:松竹

©2026「遺愛」製作委員会
©米澤穂信/KADOKAWA ©2026映画「黒牢城」製作委員会

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