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“奇妙な味”という言葉はご存知でしょうか。なんとも形容しがたい異様な雰囲気を漂わせていたり、謎解きともサスペンスともホラーともSFともカテゴライズできないような、不条理な展開や結末に終わる物語に使われる言葉なのですが、現在公開中の映画『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』は、そうした物語が好きな人はもちろん、映画館にいる間は日常のあれこれから離れたいとか、知らない世界に飛び込んでみたい、と思っている人にはイチオシの作品です!
心臓外科医のスティーブン(コリン・ファレル)は、眼科医の妻アナ(ニコール・キッドマン)と娘と息子の4人で郊外の豪邸に住んでいます。裕福で社会的地位も高く、美しく聡明な妻に、親の言うことをよく聞く子どもたちが待つ家庭。そんな誰もがうらやむ生活を送っていたスティーブンは、家族や同僚に隠れて一人の少年と会っていました。マーティン(バリー・コーガン)というその少年に、スティーブンは近況を聞いたり、高価なプレゼントをしたりするのですが、なぜかその会話はぎこちなく、不穏な緊張感さえ漂わせています。観客には彼らがどういう関係なのかわかりません。しかしスティーブンは成り行きでマーティンを家に招待することにします。明るく社交的というタイプではないものの、真面目で控えめなマーティンにアナは好感を持ち、子どもたちもすぐに打ち解け、次の訪問も家族で歓迎するのですが・・・。
ここから先は、一体何が起きているのかすらわからないほど謎展開のつるべ打ち! 口数が少なく、シャイで素朴な少年だと思われていたマーティンが、不気味な本性を少しずつあらわしていくのです。彼が口にした不吉な予言は現実になり、突然歩くことができなくなった子どもたちは、じきに原因不明の衰弱状態におちいってしまいます。いきなりの悪夢になすすべもないスティーブン一家は、次々にエスカレートしていく恐ろしい状況から逃げることができません。そしてその先には想像を絶する結末が!
こんなふうに書かれるとホラー映画と思われる方もいるかと思いますが、ある理由で子どもたちを一切家の外に出さない一家を描いた『籠の中の乙女』(第62回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門グランプリ)、結婚できない人間は動物に変えられてしまうディストピアが舞台の『ロブスター』(第68回カンヌ国際映画祭審査員賞受賞)のヨルゴス・ランティモス監督の作品だけあって、緻密に構成された物語は恐ろしいだけではなく、ねじれたユーモアや魅力的な謎に満ちています。視覚的にも、思春期の一ページを描いた美しい印象を残すシーンもあれば、突然現れるシュールレアリズムの絵画のような場面に不意をつかれたりと、スクリーンから一時も目が離せません。
ランティモス監督とエフティミス・フィリップの鬼才コンビによる脚本は、第70回カンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞。『The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ』でも共演したファレルとキッドマンの凄みある存在感はもちろん、『ダンケルク』の役からは想像できない、バリー・コーガンの鬼気迫る演技も必見です! そのぞっとするほどの得体の知れなさは『少年は残酷な弓を射る』のエズラ・ミラーに匹敵するのではないでしょうか。黒い笑いに包まれた奇想天外でグロテスクな不条理サスペンス、真っ暗な劇場の座席で、最後まで目をそらさずにご覧ください。
『聖なる鹿殺し』現在公開中
<ストーリー>
心臓外科医スティーブンは、美しい妻と健康な二人の子供に恵まれ郊外の豪邸に暮らしていた。スティーブンには、もう一人、時どき会っている少年マーティンがいた。マーティンの父はすでに亡くなっており、スティーブンは彼に腕時計をプレゼントしたりと何かと気にかけてやっていた。しかし、マーティンを家に招き入れ家族に紹介したときから、奇妙なことが起こり始める。子供たちは突然歩けなくなり、這って移動するようになる。家族に一体何が起こったのか? そしてスティーブンはついに容赦ない究極の選択を迫られる・・・。
上映館: ヒューマントラストシネマ渋谷、新宿シネマカリテほか
リンク:映画公式サイト
【執筆者プロフィール】♪akira
翻訳ミステリー・映画ライター。ウェブマガジン「柳下毅一郎の皆殺し映画通信」、翻訳ミステリー大賞シンジケートHP、月刊誌「本の雑誌」、「映画秘宝」等で執筆しています。